戦後の広島を象徴する広島平和記念公園・平和記念資料館の設計を手がけた丹下健三の「住居」(1953)からはじまり、伝統の探求のなかにそのヒントを得たもの、都市とのかかわりに思いをめぐらせながらその解法を表現したものなど、建築家は「住」を取り巻くさまざまな課題に向かいながら空間表現を追究していきました。 60年代、「住宅は芸術である」と篠原一男は宣言、住宅建築の重要性を提唱し、注目されます。万博後、70年代の建築家の眼は強く内部に注がれ、従来のやりかたに異を唱えるなど、斬新な表現を追究していきました。極小の敷地、限られた条件など必ずしも恵まれた状況にあるとはいえない日本の「住」。近代化のなかで私的かつヒューマンな空間である住宅に熱い視線が注がれた時代の建築を美術館で一挙ご紹介します。
丹下健三《住居》1953年 撮影:平山忠治
「美しいものは機能的である」と唱え、数々の国家的建築を手がけた丹下健三による自邸。ピロティによって持ち上げられた2階は居住空間であり、半分はゲストを招く場で、公館としても機能した。世界の建築の潮流や日本の住まい方・伝統的木構造を再解釈し、丹下の思想を凝縮した模範的な美しさを持つ。
所在地:東京都世田谷区(現存せず)
規模:地上2階
[丹下健三 /Kenzo Tange]
1913年生まれ、2005年歿。主な作品《広島平和会館原爆記念陳列館》(現・広島平和記念資料館本館、1952)、《東京オリンピック国立屋内総合競技場/建築学会特別賞》(1964)、《東京都新庁舎》(1991)など
増沢洵《コアのあるH氏の住まい》1953年撮影:新建築社写真部
あたり前の住むための機能、食べる、眠る、排泄する3つの要素を滑らかに営みたいという建主の要望に明確に応えた住居。家の両サイドに個室を配置、トイレ・洗面所・浴室といった設備はコンクリートブロックで囲み、家の中心に置くことで回遊性も高めた。構造や機能だけでなく住みやすさも兼ね備えた上品で慎ましい住宅。
所在地:東京都世田谷区
規模:地上1階
[増沢洵 /Makoto Masuzawa]
1925年生まれ、1990年歿。アントニン・レーモンドに師事。主な作品《自邸・最小限住居》(1952)、《成城学園図書館書庫》(1957)、幼稚園・中学校ほか成城学園の各種施設など
清家清《私の家》1954年撮影:新建築社写真部
横長の敷地に配された幅10m×奥行5mという、玄関、部屋の扉がない小さなワンルームの特徴を持つ実験的な要素に富んだ住居。living-gardenと名付けた居間の延長による戸外との一体感は生活を開放的にし、曖昧な室内の境界は室用途のあり方も変えた。時間と場所の変化に合わせ空間作りを自由にする。
所在地:東京都大田区
規模:地下1階/地上1階
[清家清 /Kiyoshi Seike]
1918年生まれ、2005年歿。主な作品《小原流盛花記念館》(1963)、《軽井沢プリンスホテル新館》(1982)、《朝倉文夫記念館》(1990)など
磯崎新《新宿ホワイトハウス》1957年撮影:小林正徳
芸術家集団「ネオ・ダダ」の本拠地となった吉村益信(1932-2011)のアトリエ兼住宅であり、磯崎新が基本設計を手がけた数少ない住宅作品のひとつ。3間立方のアトリエ部分はホワイトキューブ(白い立方体)となっており、一間幅の台所と洗面所、風呂を配置した明解でミニマルな建築となっている。
所在地:東京都新宿区
規模:地上2階
[磯崎新 /Arata Isozaki]
1931年生まれ。主な作品《大分県医師会館》(1960)、《ロサンゼルス現代美術館》(1986)、《水戸芸術館現代美術センター》(1990)など
菊竹清訓《スカイハウス》1958年撮影:新建築社写真部
4本の壁柱によって持ち上げられた方形の自邸。10m角の主室の内部に柱は1本もなく、キッチンや浴室、トイレはユニット化され外周に取り付けられていた。それらを移動し主室の仕切り方を変えることで、場を変化させたり、家族の状況に合わせて部屋が加わるなど、新陳代謝を唱えたメタボリストの原点がある。
所在地:東京都文京区
規模:地上2階
[菊竹清訓 /Kiyonori Kikutake]
1928年生まれ、2011年歿。《海上都市1958》《塔状都市1958》を発表。主な作品《出雲大社庁の舎/日本建築学会作品賞、芸術選奨文部大臣賞、アメリカ建築家協会汎太平洋賞》(1963)、《日本万国博覧会 エキスポタワー/日本建築学会特別賞》(1970)ほか
東孝光《塔の家》1966年撮影:村井修
都心に住まうことを選び、6坪という極小の敷地に自邸を建設。地下から最上階まで合わせて6層に積み重ねた。機能上最小限の生活面積ながら、吹き抜け構造が天井高や空間の連続性を確保。各所に効果的にあけられた窓により大量の光が享受でき、風が抜け、自然で心地よい内部空間を作り出す。
所在地:東京都渋谷区
規模:地下1階/地上5階
[東孝光 /Takamitsu Azuma]
1933年生まれ。主な作品 坂倉準三建築研究所で新宿西口広場を担当(1964)、《日本万国博覧会 三井グループパビリオン》(1970)、《阿佐ヶ谷の家》(1993)など
篠原一男《白の家》1966年撮影:新建築社写真部
「住宅は芸術である」と宣言し、建築からの独立を打ち出した初期を代表する住宅。瓦屋根、白漆喰の外壁からは日本の伝統へのつながりを感じさせるが、内部は白く大きな正方形の空間と一本の丸太で構成されている。住宅の持つ空間の概念を芸術の域にまで高めようとした。
所在地:東京都杉並区
規模:地上2階
[篠原一男 /Kazuo Shinohara]
1925年生まれ、2006年歿。主な作品《未完の家》(1970)、《東京工業大学百年記念館》(1987)など
坂本一成《水無瀬の町屋》1970年
撮影:新建築社写真部/画像提供:DAAS
都市環境の悪化から建築が外部に対し閉鎖的な態度をとるようになる1970年代、
坂本も住宅を「閉じた箱」として創出した。鉄筋コンクリート造に木造の屋根が乗り、外壁は銀ペンキ、内壁もコンクリートと一部板張りと異種素材が用いられ、素材の意味を曖昧に、形式にとらわれない自由度の高い建築が試みられている。
所在地:東京都八王子市
規模:地上2階
[坂本一成 /Kazunari Sakamoto]
1943年生まれ。主な作品《House F/日本建築学会作品賞》(1988)、《コモンシティ星田/第5回村野藤吾賞》(1992)など
白井晟一《虚白庵》1970年撮影:新建築社写真部
道路からは窓も見えない石の塀に取り囲まれた住居。内部は洞窟のような闇の空間が広がる。目が暗さに慣れると客間の青いベルベットの壁の前に陰翳をおびた家具や調度が闇に浮かび、その奧に開かれた窓の向こうには白砂を敷き詰めた庭が広がる。闇と白砂の対比が織りなす、独特な内省的な空間世界が形作られた。
所在地:東京都中野区(現存せず)
規模:地上1階
[白井晟一 /Seiichi Shirai]
1905年生まれ、1983年歿。主な作品《原爆堂計画》発表(1955)、《中公新書》の装丁(1962)、《親和銀行本店/建築年鑑賞、建築学会賞、毎日芸術賞》(1967/1968)ほか
宮脇檀《松川ボックス》1971/1978年撮影:新建築社写真部
周囲を住宅に囲まれた都心にあって、中庭を三方の建物で取り巻くコートハウスの様式をとった。鉄筋コンクリートの単純なボックス構造と木造による内部を組み合わせた混構造を特色とし、内部空間へのこだわりは天窓からの採光や空間を広くとるための吹抜けなどに現れている。
所在地:東京都新宿区
規模:#1 地上2階、#2 地上2階
[宮脇檀 /Mayumi Miyawaki]
1936年生まれ、1998年歿。主な作品《秋田相互銀行角館支店/商業空間デザイン特別賞》(1978)、《高須住宅地/緑の都市建設大臣賞》(1985)など
毛綱毅曠《反住器》1972年撮影:藤塚光政
母親のために作った家。3つの立方体が入れ子となり構成され、その中をメビウスの輪のように屋内階段がめぐっている。立方体はぞれぞれが「環境暗号器」「人体応答器」「皮膚反応器」と名付けられているが、当初はこの住宅を「マザーグースの家」と命名していた。水平に部屋を分けた一般の住宅観は通用せず、住宅がひとつの宇宙空間なのだということを実感させられる。
所在地:北海道釧路市
規模:地下1階/地上2階
[毛綱毅曠 /Kikoo Mozuna]
1941年生まれ、2001年歿。主な作品《釧路市立博物館/日本建築学会賞》(1985)、《石川県能登島ガラス美術館/日本建築美術工芸賞》(1992)など
黒川紀章《中銀カプセルタワービル》1972年撮影:新建築社写真部
世界で初めて実用化されたカプセル集合住宅。エレベーターや設備が入ったコアの塔のまわりに都市空間の「セカンドハウス」として必要な機能を装備した140個のカプセルが組み込まれた。生物のように成長する建築を夢みたメタボリズムのメンバーであった黒川が、動く建築の時代の到来、個人を中心とする新たな家族像のイメージを住宅建築で具現化した。
所在地:東京都中央区
規模:地上13階(A棟)および11階(B棟)/地下1階
[黒川紀章 /Kisho Kurokawa]
1934年生まれ、2007年歿。主な作品《埼玉県立近代美術館》(1982)、《広島市現代美術館》(1989)、《国立新美術館》(2006)など
原広司《原邸》1974年撮影:新建築社写真部
長細い外観の全貌は容易に把握できないが、中に一歩入ると建物の奥まで15m以上ある通路が貫き天窓から光が差し込む。その通路の左右には街並を成すように対称に部屋が配置されており、「住居に都市を埋蔵する」という原の言葉が形となって現れ、均質的な近代空間に対する反均質的な世界が展開している。
所在地:東京都町田市
規模:地上2階
[原広司 /Hiroshi Hara]
1936年生まれ。主な作品《田崎美術館/日本建築学会作品賞》(1986)、《JR京都駅ビル》(1997)、《広島市立基町高校》(2000)など
石山修武《幻庵》1975年撮影:新建築社写真部/画像提供:DAAS
山中で異彩を放つ別荘は、生物の顔を連想させる上部の中心に入口がある。半円状の建物の上部が橙色、下部はコンクリートという外観で、構造は土木工事で使われる円筒状のシリンダーを用いた。茶室を備え、ステンドグラスがはめ込まれたユニークな小宇宙を抱えたこの庵は内部の素材にも工業用製品など多くの既製品を転用している。
所在地:愛知県新城市
規模:地上2階
[石山修武 /Osamu Ishiyama]
1944年生まれ。主な作品《伊豆の長八美術館/吉田五十八賞》(1984)、《リアス・アーク美術館/建築学会賞》(1994)、《ひろしまハウス》(2006)など
伊東豊雄《中野本町の家》1976年撮影:大橋富夫
姉とそのふたりの娘のために作った独特な馬蹄形の住宅はWhite Uとも呼ばれる。外向きには道路に面した開口部がほとんどなくコンクリートの壁がそびえるように建物の外と内を隔てていた。内部空間は白い壁が連続し、スリットから差し込む光が美しい空間を作り出した。建設前に夫/父を失ったばかりの家族を穏やかに包み込むような外部を拒んだ設計になっている。
所在地:東京都中野区(現存せず)
規模:地上1階
[伊東豊雄 /Toyo Ito]
1941年生まれ。主な作品《シルバーハット(自邸)/日本建築学会賞作品賞》(1984)、《せんだいメディアテーク/日本建築学会賞作品賞》(2000)、《多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)》(2007)など
安藤忠雄《住吉の長屋》1976年撮影:新建築社写真部
大阪下町の木造長屋にコンクリートの箱を挿入したかのような住宅。正面には玄関以外は壁しかなく、内部は細長い空間を3分割して中央部を中庭に充てている。住人は両端の部屋に移動するには必ず中庭に出て屋外空間を通らねばならない。効率性と快適性を求める社会において尺度の違う豊かさを訴える。
所在地:大阪市住吉区
規模:地上2階
[安藤忠雄 /Tadao Ando]
1941年生まれ。主な作品《光の協会》(1989)、《兵庫県立美術館》(2002)、《地中美術館》(2004)など
オープニング鼎談「広島新世代建築家たちの視点」
鼎談ゲスト:五十嵐太郎(本展監修者・東北大学教授)、小川文象(建築家)、土井一秀(建築家)
2014年10月4日(土)14:00~15:30
広島を拠点とする次世代の建築を担う70年代生まれの建築家が、伝説の住宅のもたらしたインパクト、現在の試み、これからの住宅について語ります。
会場:地下1階ミュージアム・スタジオ
定員:120名
※要展覧会チケット(半券可) ※当日10時より受付にて整理券配布
五十嵐太郎
1967年フランス・パリ生まれ。東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)、建築史、建築評論家。東北大学大学院教授。2008年のヴェネツィアビエンナーレ国際建築展では、日本館コミッショナーを務めた。2013年のあいちトリエンナーレに於いて芸術監督としての活動が評価され文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。本展覧会監修者。
小川文象
1979年山口生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。ロンドン大学バートレット建築学校大学院、アトリエジャンヌーヴェル勤務を経て2008年FUTURE STUDIO設立。広島本通の商業ビルMiss Hiroshimaが2014年日本建築学会作品選集新人賞を受賞。都市からプロダクトまで領域を横断しながら幅広いデザイン活動を行う。
土井一秀
1972年広島生まれ。広島大学大学院工学研究科環境工学専攻修了。文化庁新進芸術家海外研修員としてFOA/ロンドンなど、国内外の建築事務所勤務を経て2004年土井一秀建築設計事務所設立。一級建築士。「風景の発掘」をキーワードに戸建住宅や集合住宅、医療施設から家具デザインも手がける。
特別対談「住まうこと、建築、ヒロシマ」
対談ゲスト:磯崎新(建築家・本展出品者)、三分一博志(建築家)
2014年10月22日(水)14:00~15:30
広島の廃墟のなかに未来都市の姿を直感し「ふたたび廃墟になったヒロシマ」を1968 年に発表した磯崎氏と、広島を拠点に再生したヒロシマの原風景を建築に取り込もうと試みる三分一氏を迎え、廃墟から再生へと向かった広島で建築を巡ってお話しいただきます。
会場:地下1 階ミュージアム・スタジオ
定員:120名
※要展覧会チケット(半券可) ※当日10時より受付にて整理券配布

撮影:木奥惠三
磯崎新
1931年大分生まれ。丹下健三に師事し、1963年磯崎新アトリエ設立。代表作に、大分県立図書館(現アートプラザ、1966)、群馬県立近代美術館(1974)、ロサンゼルス現代美術館(1986)、秋吉台国際芸術村(1998)、トリノアイスホッケースタジアム(2005)、カタール国立コンベンションセンター(2011)、上海シンフォニーホール(2014)など多数。2013年、半世紀に渡る執筆をまとめた磯崎新建築論集(岩波書店)を出版。建築のみならず、多岐に渡る領域で活動。本展覧会出品者。
三分一博志
1968年生まれ。東京理科大学理工学部建築学科卒業。小川晋一アトリエを経て三分一博志建築設計事務所設立。代表作にRunning Green Project(山口/2001)、Wood Egg お好み焼館(広島/2008)、自然体感展望台六甲枝垂れ(兵庫/2010)、瀬戸内海国立公園宮島弥山展望休憩所(広島/2013)など。犬島精錬所美術館(岡山/2008)が日本建築学会賞作品賞、日本建築大賞を受賞。「地球のディテール」をテーマに国内外で活動。2012年からデンマーク王立芸術アカデミー教授。現在 (仮称)広島ピースタワー(広島マツダ大手町ビル全面改修計画)が進行中。
谷尻誠と行く、住宅・建築実見ツアー
2014年11月2日(日)13:00~16:00(予定)
坂の街・尾道で谷尻氏が設計を手がけた住宅やサイクリストのための施設(ONOMICHI U2)を歩いてめぐります。
《ONOMICHI U2》2014年
案内人:谷尻誠(建築家)
場所:尾道周辺(現地集合、場所は参加者に後日連絡)
参加費:500円(他、交通費自己負担)
対象:高校生以上
定員:20名
※要事前申込、申込多数の場合抽選
(申込締切日:10月10日←締め切りました)
谷尻誠
1974年広島生まれ。穴吹デザイン専門学校卒業。2000年建築設計事務所Suppose design officeを設立、現在まで住宅から展示会場など100以上の建築を手がける。著書に「1000%の建築」「談談妄想」がある。穴吹デザイン専門学校非常勤講師。広島女学院大学客員教授。
学芸員によるギャラリー・トーク
2014年10月5日(日)、11月30日(日)14:00~15:00
担当学芸員が展覧会について解説します。
※要展覧会チケット、事前申込不要
伝説の16住宅…その詳細を一冊にまとめました。
本展で紹介する16住宅の写真、図面そして解説テキストやデータなどを掲載しています。
また、展覧会関係者が寄せたエッセイも充実の内容。
加えて16名の出品建築家によるマニフェストや自作についての論考も再録しており、
展覧会を鑑賞した方はもちろん、鑑賞していない方にも読み物として十二分にお楽しみいただけます。
必携の一冊です。
[目次]
ご挨拶
エッセイ|住宅の神話|建畠晢(埼玉県立近代美術館館長)
エッセイ|建築家にとって住宅とは何だったのか|五十嵐太郎(建築史家・建築評論家)
▼作品
住居/丹下健三
コアのあるH氏の住まい/増沢洵
私の家/清家清
新宿ホワイトハウス/磯崎新
スカイハウス/菊竹清訓
塔の家/東孝光
白の家/篠原一男
水無瀬の町家/坂本一成
虚白庵/白井晟一
松川ボックス/宮脇檀
反住器/毛綱毅曠
中銀カプセルタワービル/黒川紀章
原邸/原広司
幻庵/石山修武
中野本町の家/伊東豊雄
住吉の長屋/安藤忠雄
エッセイ|戦後日本住宅への一視点─白の意味|伊豆井秀一(埼玉県立近代美術館学芸員)
▼資料再録
美しきもののみ機能的である|丹下健三
調和のある建築|増沢洵
私の家|清家清
小住宅設計ばんざい|八田利也[磯崎新、伊藤ていじ、川上秀光]
設計の論理|菊竹清訓
生きる姿の表現として|東孝光
住宅は芸術である 建築生産と対決する住宅設計|篠原一男
〈閉じた箱〉〈記号的表現〉そして〈即物性〉|坂本一成
住宅思言|白井晟一
裸の住宅設計論|宮脇檀
《反住器》仮説|毛綱モン太(毅曠)
Oh! サイボーグの掟|黒川紀章
住居に都市を埋蔵する|原広司
幻庵録 シリンダーは宇宙卵としての世界の充足を目差す|石山修武
白い環|伊東豊雄
都市ゲリラ住居|安藤忠雄
戦後日本住宅年表
展覧会模型製作者一覧
謝辞
価格:2,000円(税込) | ISBN:978-4-7869-0255-0 C3052 |
ページ数:168ページ | 制作・発行:新建築社 |
サイズ: 221mm x 297mm |
※会期終了後の購入について
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