イタイミナコ 《慎太郎も存在してるしあの犬も存在してる》2025
イタイミナコ
《慎太郎も存在してるしあの犬も存在してる》【特別審査員賞】
私の街には、AI に「慎太郎」と名をつけて語りかける人や、犬のぬいぐるみに景色を見せるように振る舞う人がいます。これらの行為は、虚実の境界に揺らぎを生じさせます。基町高層アパートの地下倉庫には、長い時間を経て手放せず残された物たちが静かに積み重なり、生活の痕跡や地域の歩みが終わりきれずに行き場を失い、眠ったままにいます。埃をまとった欠片と向き合うとき、住民の語りは虚実をにじませ、像を結ぶように立ち上がってきます。
本作品ではこうした「確かにある何か」が、一定の距離を保った、たゆたう影のインスタレーションとして地下から地上へ、個人の輪郭から社会の層へと波紋のように広がり、そっと照らし出します。
また、掘り起こしから収集された住民の語りの質感を自分の身体に通し、声や仕草を憑依的に演じるパフォーマンスをおこないます。「残されるべき広島」と「語られなかった広島」のあいだをにじませ、文字にとどめきれない質感もふくめ作品の内側でそっと昇華していきます。
被爆や復興の語りに加えてAIとの恋やぬいぐるみの生命をめぐる声もふくめ、溢れ出た出来事や感情をひきうけ続けている広島の人々の姿が本作の構成を支える要素となりました。
2年目となる2025年度のHiroshima MoCA FIVEは、「記憶」というテーマに対して280組のアーティストから応募があり、最終的に5組が選出された。戦後80年という節目の年と広島の地は「記憶」という主題に向き合う重要な糸口となっており、直接間接を問わずそれに対して何らかの応答を試みる提案が多かった。
展示室外にも音が響いてくる宇留野圭の作品は、パイプオルガンの構造を採用し、大小様々な40の部屋を接続したもので、ピラネージの《牢獄》シリーズが実際に立ち上がったような複雑で豊かな空間が印象的であった。各部屋にはパイプとファンが接続されているが、すべてのファンを機能させると大音量となるため、普段は半分程のファンはスイッチが切られている。完成度は非常に高いが完全状態で稼働できないことも相まって、なぜ40の部屋なのかの根拠や記憶というテーマにどう向き合ったかがもう一歩明白になってほしかった。
台湾在住の洪鈞元は、日本統治時代に広島で暮らしていた義祖父の足跡を辿ることから台湾人被爆者の戦争体験や記憶を追った。数年間かけて複数回広島を訪れるなかで、義父が義祖父を演じた半ドキュメンタリー映像《義方》や、祖父の軌跡を巡る《1680km》、写真や資料にアーティストのナレーションを重ねたエッセイフィルム《逆光》などに加え、様々な資料やインタビューなども交えた濃密で複雑な作品空間を創出した。見過ごされがちな台湾人の広島での戦争体験や原爆の記憶に肉薄する活動そのものが稀有で、本公募展にふさわしい作品となっていた。ただ、決して広くはない空間で若干情報過多のため全体像が捉えづらくなっているように感じた。
臼井仁美の展示に至ると、明るい場へと転調し、静謐で凛とした空気に包まれる。臼井は広島の人々が使わなくなった道具を借り受け、ケズリカケという技法により道具の一部を削り出すことで、道具としての機能を仕舞うとともに、新たな生命を吹き込んだ。道具は展覧会後に元の持ち主に手渡されることで、記憶は継承されていく。この取組は、物事の終え方や仕舞い方、そして再生という現代社会において探究すべき課題に応答する公共的価値が高いもので、より幅広い共有のかたちを今後期待したい。
桑名紗衣子と長坂絵夢は、拡散霧箱により展示室内の放射線を可視化し、それを映像で記録した。放射線映像に加え、数秒で消えていく放射線の一瞬をふたりで模刻した石膏彫刻群と、消えゆくものを掬い取るように魚網の技法によって編んだ大きな網のような立体がひろげられた。放射線というと幾何学的直線を想像しがちだが、消失の瞬間に着目することでその豊かで有機的なかたちを具現化したことは興味深く、放射線により地球規模の記憶に想いを馳せる場を生み出した。それぞれ得意なことをやりそれを重ねる協働スタイルは、継続や展開の可能性を感じさせるものだった。
広島在住のイタイミナコは、自らが暮らす多世代多国籍の人が住む築50年になる巨大高層集合住宅地でこれまで様々な活動を展開してきた。本展では、住宅の地下倉庫に長年に渡り過去の住人たちが残してきた所有権も曖昧な多数のものを美術館に持ち込んだ。そして、自治会長として住人たちの話を聞くなかで記憶に残るエピソードを、語り口や仕草も含めて自らに憑依させるパフォーマンスを展開した。この公営の集合住宅は文化財として保存され得る価値を備える一方で、老朽化も含め様々な社会課題を抱える場でもある。イタイは住民が抱える諸課題にユーモアと創造性をもって応答し、未来への価値へと変容させようと試みる。単に現代の諸問題に向き合うだけでなく、過去の記憶を未来の価値へと導く活動は未知の部分も多いが、大きな可能性を秘めており、よりよい生を実現する芸術のかたちとして希望を感じる。
全体を振り返ると、彫刻や工芸技法から映像やプロジェクト型まで技法や素材・媒体が多様で、音を発する作品も多く、世代やキャリアも幅広い作家たちが複雑に混じり合う場が生み出されていた。そのため、各作品が競い合い互いに主張するような展示にもなり得ただろうが、そうではなく異なるものたちが互いの存在を尊重し共鳴する豊かな空間が実現されていた。アーティスト同士がよい関係を築いたことが想像され、それぞれに実りあるよい現場となっていたに違いない。公募展らしい予期せぬ出会いと美しい重なりあいがあわられた展覧会であった。
服部 浩之(キュレーター、東京藝術大学准教授、国際芸術センター青森 館長)