入選作品

観客賞決定!ご投票、ありがとうございました。

来場者のみなさまに、心に残った作品へ投票いただき選出される「観客賞」。
11月2日(土)から11月10日(日)まで投票を行い、このたび以下のとおり「観客賞」が決定しました。

観客賞 諫山 元貴《Order》

※11月17日(日)まで入選作品展開催中!(展覧会情報はこちら

【池水慶一賞】

尾本 啓介Keisuke Omoto

《晴耕雨読》

階段の壁面に、雨粒や足元に広がる水の波紋の映像が投影される。比治山に自生する木々が風にそよぐ音が響き、切り落とされた枝の束を通して木漏れ日が差し込む。これらの映像、サウンドスケープ、オブジェクトによって、建物内に天気の変化を感じさせる空間が生まれる。

【木村絵理子賞】

原田 裕規Yuki Harada

《[資料]写真の山》

不用品業者や産廃処理業者によって回収された、「引き取り手のない写真」が机の上に広げられる。写真そのものは作家の「作品」ではなく「資料」であるが、捨てられるはずだった匿名の写真の山を人々や社会はどのように取り扱うのか、「イメージとの付き合い方/別れ方」を考える機会を作ることが本作品の目的である。

【森本アリ賞】

三本木 歓Kan Sanbongi

《light-ing well》

光庭に置かれた石から、パイプで作られた2本の光の筋が折れ曲がりながら上方に伸びていく。光の片方の先端は建物の壁に取り付けられた黄色い鉄骨に到達し、もう一方は反対側の覗き窓を通り抜け、森の中へと続く。屈折する光のイメージが射(挿)し込まれることで空間に動きが生じ、光庭と周囲とのつながりが可視化される。

【入選】

諫山 元貴Genki Isayama

《Order》観客賞

古典主義建築の円柱(order)が次々に崩れては再び現れる映像が、4面に囲われたスクリーンに投影される。建物を支える柱が崩壊する映像は、美術館の建築空間の秩序(order)に変容をもたらす。映像によって空間が構成され、鑑賞者は空間の内側と外側の双方から映像を鑑賞することができる。


加藤 立Ryu Kato

《I am a museum》

ひとりのパフォーマーとして「美術館」の役を演じる作家が、広島市現代美術館所蔵の横尾忠則による油彩画である「Y字路」シリーズ《芸術と平和》の複製を背負い、美術館周辺をさまよい歩く。偶然その場に居合わせた鑑賞者との筋書きのない出会いがパフォーマンスの目的である。


寺田 衣里Eri Terada

《不在の庭》

イサム・ノグチによる実現しなかった原爆慰霊碑の痕跡として、アプローチプラザにふたつの楕円を描き、ノグチ案の慰霊碑の「不在」を示す。原爆ドームの方角を向く柱には、ノグチの父、米次郎の臨終の詩に登場し、ノグチ作品の鐘のモチーフの源泉となったジョン・ダン「瞑想録第17」の一部をもとに詠んだ詩を記す。


春田 美咲Misaki Haruta

《gather》

決められた主題や対象を描く代わりに、作家自身の無意識のイメージが即興的な筆の動きとしてロール状の長い紙に描き出される。イメージは次々に移り変るコマ撮りの画像のように変化していく。ロール紙は壁から床面に敷き詰められ、展示空間全体に展開される。


香帆Kaho

《私たちの平均的キノコ雲》

透明なフィルムの表面に、来館者が写真などを参照せずに原爆のキノコ雲の絵を描く。集められた絵は描いた人の年代別に分類され、会期後半に展示される。曖昧な記憶に頼って描かれたそれらの絵から、各世代の集合的・平均的なキノコ雲の像が浮かび上がる。

特別審査員・講評

池水 慶一(現代美術作家)

大阪市生まれ。1960年代初頭から現代美術作家として、長良川の河原で鉄格子のついた檻に自ら入る《HOMO SAPIENS》(1965)、天王寺動物園の象に対峙した《今年の夏、私は象になった》(2015)など、動物の個々の生を見つめ、「見る者」と「見られる者」を転換させる作品を発表する。また、1967年に結成され、現在も活動するグループ「プレイ」の中心メンバーのひとりとして、卵型のオブジェを潮岬沖の黒潮に放流する《VOYAGE: HAPPENING IN AN EGG》(1968)など、自然における人間の営みを巨視的に捉えるプロジェクトを実行する。

私や私が所属しているグループTHE PLAYの「作品」は、ほとんどの場合「作品」と「場」がキッチリ重なり合って成り立っている。「作品」が先か「場」が先か。「作品」が先行しながら街や山野を歩いてその「場」に遭遇する。時には「場」によって「作品」が一変してしまう事もある。今回「場」は美術館であるが、それを意識せずに作品と対面した。
尾本啓介さんの《晴耕雨読》は美術館に「天気」を持ち込もう、という作品である。昨今の異常気象は私たちの日常生活を脅かしつつあり、晴の日は熱中症を、降れば水害を恐れねばならない。そんな中、晴耕雨読という言葉が有効であった頃の、あたり前の優しい「天気」を美術館に再現しようというのだろうか。添付資料によれば作者は以前、美術館がある比治山の麓に住んでいたという。この「場」でこの「作品」を見てみたい。
春田美咲さんの《gather》は「日々何気なく描いた」イメージが大風呂敷を広げるように会場を覆う。さてその迷宮はどんなものか?
また今回多くの応募作品が、果敢に未知の「空間・場」での創造をふくらませてくれたことに敬意と感謝を表します。


©427FOTO

木村 絵理子(横浜美術館主任学芸員・ヨコハマトリエンナーレ2020企画統括)

2000年より横浜美術館に勤務、ヨコハマトリエンナーレでは、2020年展の企画統括のほか、2014・2017年展キュレーター、2005年展アシスタント・キュレーター。その他、關渡ビエンナーレ(2008、台北)、釜山Sea Art Festival(2011)など海外のプロジェクトに従事。近年の横浜美術館での主な展覧会企画に、「昭和の肖像:写真でたどる『昭和』の人と歴史」(2017)、「BODY/PLAY/POLITICS」(2016)、「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」展(2012)、「高嶺格:とおくてよくみえない」展(2011)、「束芋:断面の世代」展(2009-2010)ほか。

本プログラムは、広島市現代美術館での展示を前提とした展示プランの公募であり、自身の作品のプレゼンテーションに加えて、空間の特性を理解した上で作品がそこにどのように介入できるのか、客観性を持った提案が求められる。こうした2段階の要請に対して、応募者の多くが作品自体の説明以上に、具体的な展示方法の説明の方に紙幅を使っていた中で、選定された作家たちは皆、作品のコンセプトについて明確な自己分析の言葉を有していると感じられたことが印象的であった。今後展示を実現する過程では、希望通りの空間ではない場所での展示が求められる場合や、その他物理的な事情等で当初プランの通りに運ばないケースが生じる可能性もあると思うが、常に作品のコンセプトを実体化させる上で最良の選択は何か、柔軟な発想で臨んでくれることを期待する。

森本 アリ(音楽家・旧グッゲンハイム邸運営・シオヤプロジェクト主宰)

留学先のベルギーで現代アートを学び、2007年より音楽家として神戸・塩屋の海沿いの築百年強の洋館、旧グッゲンハイム邸の運営管理に携わる。塩屋のまちづくりにも関わり、塩屋の古い写真を広く集め、町の写真を一つの家族アルバムのようにまとめ上げた『塩屋百年百景』、塩屋ゆかりのアーティストと共にワークショップを開き、作品制作や展示も行う「シオヤ・プロジェクト」(その活動をまとめた『塩屋借景』)、町をまるごと文化祭にする「しおさい」や町全体をステージに見立てた「しおや歩き回り音楽会」など、様々な活動を展開している。著書に『旧グッゲンハイム邸物語』(2017)、『塩屋借景』(2017)。

この公募展ではサイトスペシフィックな作品、場所の特性を生かす作品が求められているので、衝撃でした。募集要項に「展示室以外の空間に着目し、空間的特徴をいかした」とある中、その要件を満たしていたものは無いに等しかった。空間をギャラリーとしか考えない作品も多く、選出にあたり「論外」のものも多かった。
目にとまった数作も、アイデアや着眼点はよいものの表現方法において本質を見失ってしまうような作品が少なくありませんでした。その点で《私たちの平均的キノコ雲》は、展示方法に改良の余地があるものの、参加型であることと、重いテーマをしなやかに軽やかに扱う姿勢に共感を抱きました。
僕は現代美術にどっぷり浸かっていた時期がありました。その頃のマウリツィオ・カタランにはドキドキしました。あのドキドキを求めて審査しましたが、ドキドキが得られる作品には残念ながら出会えませんでした。
三本木さんの《light-ing well》は第一印象がよくて、とてもシンプルな提案ですが、少しのことで日常を非日常に変える装置だと思い選ばせていただきました。技術的な繊細さを求める作品なので、完成を見るのが楽しみです。

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