作品紹介

《父の肖像》赤瀬川克彦、1952

赤瀬川克彦のころ

幼少から絵が得意だった赤瀬川は、大分での中学高校時代に磯崎新、吉村益信らと出会い、彼らが所属する美術グループ「新世紀群」のメンバーとして芸術の世界へと足を踏み入れます。その後、父の転勤に伴い名古屋へ移り、武蔵野美術学校へと進学し上京。前衛芸術家として赤瀬川原平を名乗る以前の赤瀬川作品をご覧いただきます。

父の肖像、赤瀬川克彦、1952

《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》赤瀬川原平、1961/1994

ネオ・ダダと読売アンデパンダン

赤瀬川は、ネオ・ダダ時代をはさみ、1958年の第10回から1963年の最終第15回まで、読売アンデパンダン展に出品しました。第13回展出品作《ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》(1961/94)、第15回展出品作《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》(1963)などを展示するとともに、現存しない作品も記録写真によって紹介します。

ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)、赤瀬川原平、1961/1994

「首都圏清掃整理促進運動」に取り組む参加メンバー(川仁宏、高松次郎、 谷川晃一、和泉達、赤瀬川原平、中西夏之)、平田実、1964/2014

ハイレッド・センター

赤瀬川をはじめとするハイレッド・センターのメンバーの関心は、《模型千円札》や《梱包作品》のようなオブジェから、イヴェントやパフォーマンスのような「直接行動」へと移ってきました。《シェルター計画》(1964)や《首都圏清掃整理促進運動》(1964)をはじめとする彼らの活動を、多彩な資料や当時の記録写真によって多面的に展観します。

「首都圏清掃整理促進運動」に取り組む参加メンバー
(川仁宏、高松次郎、 谷川晃一、和泉達、赤瀬川原平、中西夏之)、平田実、1964/2014

法廷における大博覧会(赤瀬川原平《復讐の形態学》など)、千円札事件懇談会、1966/1994

千円札裁判の展開

法廷を舞台に、芸術と司法が異種格闘戦を繰り広げた千円札裁判。多数の前衛美術作品が法廷を占拠するといった興味深い出来事も起こりました。赤瀬川周辺の評論家や作家たちの支援のもと闘われたこの裁判を、数々の「押収品」、判決文などの資料、記録写真によって跡づけます。

法廷における大博覧会(赤瀬川原平《復讐の形態学》など)、千円札事件懇談会、1966/1994

《オテナの塔》赤瀬川原平、1969

60年代のコラボレーション

幅広い分野の芸術家たちが領域を超えて交流しともに活動した1960年代。赤瀬川も他の美術家が行うイヴェントやハプニングなどに積極的に協力し、さらには映画制作、暗黒舞踏や状況劇場の舞台装置・ポスターなども手がけました。パフォーマンス、映画、舞踏・演劇という3領域の作家たちと赤瀬川の交流を紹介します。

オテナの塔、赤瀬川原平、1969

《「櫻画報」第23号/花嵐一・1》赤瀬川原平、1971

櫻画報とパロディ・ジャーナリズム

生活の糧として始めたイラストの仕事は、1970年代頃から赤瀬川の活動の中核を占めるようになります。『朝日ジャーナル』誌に「櫻画報」、『現代の眼』誌に「現代考シリーズ」を連載し、赤瀬川はパロディ漫画の先駆者として活躍します。『月刊漫画ガロ』掲載の「お座敷」をはじめ、原画類を中心に展示を構成。初公開のものも多数含みます。

「櫻画報」第23号/花嵐一・1、赤瀬川原平、1971

連続自殺未遂事件犯人手配書、1974

美学校という実験場

1969年に創立された美学校で赤瀬川は教師を務めます。宮武外骨を紹介する講義に始まり、模写実技や考現学の講義・実践など、自身の表現活動や感心のある事象をテーマに、きわめてユニークな教育を行い、様々な人材を世に送り出しました。赤瀬川の80年代以降の活動形態の広がりに深い影響を与えることになる美学校での活動を紹介します。

連続自殺未遂事件犯人手配書、1974

『文芸春秋』車内吊ポスター、1981

尾辻克彦の誕生

赤瀬川は1960年代から執筆活動を重ね、1979年に尾辻克彦の名で小説「肌ざわり」を発表し中央公論新人賞、1981年には「父が消えた」で第84回芥川賞を受賞しました。登場人物の絶妙な対話を軸に、リズミカルな文体で平凡な日常が語られる尾辻作品。手書き原稿や関連資料・作品により小説執筆活動の一端をお見せします。

『文芸春秋』車内吊ポスター、1981

《四谷祥平館純粋階段》赤瀬川原平、1972

トマソンから路上観察へ

赤瀬川は、路上で偶然発見した「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」トマソンを、『写真時代』の連載で世に広めていきます。そして藤森照信、林丈二、松田哲夫、南伸坊らとともに1986年に結成した「路上観察学会」の活動を通して、さらなる路上観察の可能性を探求しました。多数の写真プリントとともに、美学校の弟子と結成した「トマソン観測センター」関連の物品も展示します。

四谷祥平館純粋階段、赤瀬川原平、1972

「ライカ同盟 三重視」ポスター、中京大学アートギャラリーC・スクエア、1996

ライカ同盟と中古カメラ

80年代に始めた中古カメラ収集の趣味をきっかけとして、1992年、ライカ愛好者の秋山祐徳太子、高梨豊と「ライカ同盟」を結成した赤瀬川。その活動を通して、路上観察の楽しさを追い求めていきます。『アサヒカメラ』誌上に掲載したカメライラストや秋山、アンリ菅野とともに描いた油彩風景画など、趣味人・赤瀬川の新境地をご覧ください。

「ライカ同盟 三重視」ポスター、中京大学アートギャラリーC・スクエア、1996

左 《ニラハウス完成記念版画》赤瀬川原平、1997 
右 《引伸機(未完成)》赤瀬川原平、2012-

縄文建築団以後の活動

1997年に完成した自宅兼アトリエ「ニラハウス」は、建築を作ることに参加する機会と、新たな活動グループ「縄文建築団」、そして工作する楽しみの発見を赤瀬川にもたらしました。美術史家・山下裕二との対談シリーズ「日本美術応援団」、ベストセラーとなった「老人力」など、晩年まで縦横無尽に展開された活動を紹介します。

左/ニラハウス完成記念版画、赤瀬川原平、1997
右/引伸機(未完成)、赤瀬川原平、2012-

ページのトップへ戻る