ゲンビどこでも企画公募2015

募集期間:2015年2月1日(日)~3月31日(火)
展覧会:2015年6月6日(土)~6月28日(日)
会場:旧日本銀行広島支店1階

■ 応募総数 131件
■ 特別審査員 池田修、やなぎみわ、山下裕二
※被爆70周年である2015年は、被爆建築・旧日本銀行広島支店を会場としました。

入選作品・展示風景


小田原 のどか《↓》
池田修賞


今尾 拓真《work with #2(旧日本銀行広島支店)》
やなぎみわ賞


後藤 靖香《袋町カムパネルラ》
山下裕二賞


小林 椋《蚊帳をうめる》
オリエンタルホテル広島賞


菊田 真奈
《安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから》


倉本 弥沙《He said "Buena Vista"》


鹿田 義彦《スカイスライド》


名知 聡子《粛々と》


ヒグラシ ユウイチ《SALT ARMS》
観客賞

特別審査員・講評

池田修(BankART1929代表・PHスタジオ代表)

 この公募は、「ゲンビどこでも企画」というポップなタイトルに比して、そこに含まれているテーマは、都市の中でどのようにアートが生きのびていくか、あるいは、都市の中で眠っている、忘れられている場所の可能性をどう引き出すかという、都市的社会的なプログラムだ。特に今回は戦後70年、かつ被爆建物である旧日銀広島支店で行なわれる企画なので、作品を出品する側からすると、強い与条件(プレッシャー)を感じる公募になっていると思う。『空間と作品が互いに魅力を引き出し合っていることが審査の重要なポイント。(中略)広島に残る被爆建物の空間特性を活かした作品・展示プランをお待ちしています!』なんて書かれると、ますます「うーん」ということになってしまう。
実際にプランを審査させてもらったところ、このフレームが、いい方向にいっている作家ととらわれ過ぎになっている作家に、大きく二分されたように思う。審査にあたっては、恣意的な判断で点数をつけたくなかったので自分なりの視線を整理してみた。

 

①戦後70年、広島の被爆建物の中で展示を行なうことについての自身の立ち位置
②昭和初期の元銀行という空間を把握する力
③5万円という小さな予算の中でどのように作品を成立させるかの工夫
④ここに展示されることによって現代美術館とともに世に何を発信していくかについての自覚(つまりゲンビどこでも企画についての考察)

 

①と②は、このコンペのストレートな重要な与条件であるが、③も作家にとっては切実な問題だ。④は企画者側の意図をリーディングし、裏切りすり抜けていくこともこの種のコンペでは重要なポイントだと考えたので付け加えた。

 

最後に蛇足を。なぜ、今、現美がここで、「どこでも」を行なうのか。
この被爆建物の再活用の紆余曲折は噂には聞いてきている。BankART1929と同様、様々なハードルを伴うが、今回テーマとした部分も乗り越えて、新しい都市空間としてこの建物が再び愛される場所になっていくことを望みたい。小田原のどかさんの『〈いま・ここ〉を串刺しにしたい、そしてその前に立ちたい』のように。

 

1957年大阪生まれ。1984年都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。展覧会、屋外でのプロジェクト、建築設計等、活動は多岐にわたる。1986〜91年ヒルサイドギャラリーディレクター。2004年横浜市が推進するクリエイティブシティ構想のひとつ「BankART1929」の立ち上げと運営に携わり、まちづくりやアーティスト支援のプログラム、大型の企画展、出版事業等を行ってきている。国内外のシンポジウム参加も多い。

やなぎみわ(演出家・美術作家)

戦後70年の今年に広島の被曝建築物である旧日本銀行広島支店内の空間で展示する__歴史の「呼び起こしの磁場」のまっただ中である場所といかに対話するか、という難問が募集の時点で問いかけられています。このお題に果敢にも挑んだ作品群は、どれも印象的でした。
書類審査の時は、想像力をフル回転させ、アタマの中で、書面から作品の立体化を試みますが、私の場合、想像をかきたててくれるのは、図や写真の上手よりも、ダントツに、テキストの内容です。作家でなくても、人は皆、何かに酔って生きているものですが、文章を読めば、何に酔って作っているのか、もとい何に寄っているのかが分かります。深慮しているようで歴史の物語にドップリ依存していたり、逆に、深酔いしつつ覚醒していたり、手近なものに寄りかかっているように見えて遥か彼方を見つめていたりするわけです。そういう意味で、後藤靖香さんの《袋町カムパネルラ》は、作家が長く歴史と対峙し続けてきただけあって、その扱いに独自の視点、流儀を感じます。倉本さんのオブジェ、菊田さん、鹿田さんの写真、名知さんのインスタレーション&パフォーマンスは、どれも真摯に「広島の物語」をかき立てようとしています。小田原さんの作品はサーヴェイとしても興味深い。今尾拓真さんの試みるサイトスペシフィック的な「楽器」は、空気が動いている場なら世界中に設置が可能な作品。音楽の一陣の風が物語的停滞を吹き飛ばすのを期待しました。

 

神戸市生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年代後半より、若い女性をモチーフに、CGや特殊メイクを駆使した写真作品を発表。2000年より、女性が空想する半世紀後の自分を写真で再現した「マイ・グランドマザーズ」シリーズ、少女と老婆が登場する物語を題材にした「フェアリーテイル」シリーズ等を手がけるほか、国内外での個展多数。2009年、第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表。2011年より本格的に演劇プロジェクトを始動。ヨコハマトリエンナーレ2014では、台湾で制作した移動舞台車を発表。

山下裕二(美術史家・明治学院大学教授)

広島出身で、子供のころに母から原爆の惨状を直接聞かされた私にとって、この審査は、正直言ってかなり気が重いものだった。しかし、何人かの作家が旧日本銀行広島支店という「場」の意味を真剣に考え、周到な準備をした末に応募していることを知って、心強く思った。
私による審査員特別賞としたのは、後藤靖香「袋町カムパネルラ」である。「広島県民が故郷について思いを馳せるとき、原爆以前のことにも目を向けて欲しい」という彼女は、日銀が建設される前の歴史を遡って周到に調査し、同進社という旧士族のための授産施設で新聞が発行されていたことを知る。活字を拾う少年工たちを描く巨大な墨絵は、すべて原爆によって語られてしまいがちな広島の歴史認識について、重要な一石を投じると思う。
他に私が高く評価したのは、北村賢三「ガウディからの伝言」と、名知聡子「粛々と」である。前者については、膨大な時間と労力をかけてひたすら制作する熱量に圧倒された。後者については、なによりも展示プランの中心となる絵画作品のクオリティーに瞠目した。この二つは、いずれも直接的に原爆を「社会派」的に題材としたものではない。
他には、とりあえず原爆を題材として、安易な発想による独りよがりなプランも多く、それらについては落胆した。私の母は、原爆について多くを語らなかった。ただ一度だけ、ほんとうに悲惨な体験を私に話したから、それがかえって記憶に焼き付いている。

 

1958年広島県呉市生まれ。東京大学大学院修了。同大学助手を経て、1990年より明治学院大学文学部芸術学科で教鞭をとる。現在、同大学教授。また、山種美術館顧問、森美術館理事、岡本太郎記念現代芸術振興財団理事などをつとめる。室町時代の水墨画の研究を起点として、縄文から現代美術まで、幅広く研究、批評活動を行っている。おもな著書に『室町絵画の残像』『日本美術の二〇世紀』『岡本太郎宣言』、作家・赤瀬川原平との対談集『日本美術応援団』『京都、オトナの修学旅行』などがある。

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